18:30頃、その時鉄筋コンクリート造8階建ぐらいのビルの6階にいたのだが、久しぶりに怖かった。
後に、マグニチュード7.0だったと知った。
関東の人間ゆえ地震にはそこそこなれているはずなのだが、今日の地震は久しぶりに身の危険を感じた。
地震があった時、その揺れ方はあまり経験のないものだった。
初期微動の後大きな揺れが来るのが定跡だが、
今回のは初期微動が長く続きその後大きな揺れが来て少し揺れが小さくなりこのまま収まるのかなぁと思ったところに一番大きな揺れが来た。
そして一番大きな揺れを感じている中、
ふと「このビルって老朽化しているビルじゃなかったかなぁ」と勘違いをしてしまい、
「もっと揺れが激しくなるとビルがつぶれるかもしれない」という想像をし恐怖のスイッチが入ってしまっていた。
揺れが収まって来た時も、急いで玄関に走り、鉄の扉を空けて様子うかがっていた。
地震が終わり、「大きかったねぇ」などと話をしながら、初期微動が長い割に揺れが大きかったことから、
震源に近いところではけっこう被害が出ているかもしれないとピンと来ていた。
「震源地までの距離=初期微動の秒数×8km」という大よその計算式を思いうかべながら、
「ここってテレビなかったよね」と話していると、ラジオならあるということで聴くことに。
震度4ぐらいと思ったが、3だった。6階だということで、大きく感じたようだ。
ただ、震源地に近いところでは6弱だということで、懸念したことが当たってしまっていた。
被害が小さければいいけど…。
そういえば数年前行われた将棋会館の耐震診断結果はあまり良くないらしく、特に関西将棋会館の結果は良くないらしい。
(どの程度かは知らないが…)
大きな地震が来たとき、そんなところには居たくないものだ。
某先生とお会いする機会を得る。\(^o^)/
先生は、テレビで見たときのまんまだった。
いろいろな話が伺えて良かった。
でも、テレビや雑誌でしか見たことのない人にお会いするのって、なんか少し不思議な感覚がするものだ。
先崎八段が大崎氏と同じ○×△□に住むことになったと訊き、たまげた。
ひぇーっ。ほんとかよー。みたいな。
ほんとにこのお二人は仲がいいのだなぁとしみじみ思う。
聞くところによれば、大崎氏は、先崎八段がまだ子供の頃新宿将棋センターで手合い係をしていて、その頃よく面倒を見ていたらしい。
そう言えば、先崎八段による大盤解説会が行われた赤坂将棋ステーション最後の日の大崎氏の一言を思い出す。
解説会終了後、友人や大崎氏をはじめお世話になった連盟職員の方と飲んだのだが(先崎八段は不在)「先崎は俺に一生頭が上がらねぇー」とのたまった。
ひぇーなんちゅうことを、とそのとき思ったものだ。
でも、そんなことを言えるほどの仲のようだ。
こういうのをくされ縁というのかなぁ~。違うかなぁ。