インターネット将棋定跡



2004年8月29日(日)

 NHK杯 宮田(敦)五段 vs 深浦八段戦を見る。
戦型は、△8五飛型ではなく、従来の△8四飛型の横歩取りに。
まだまだ、駒組みが続くと思われた序盤でいきなり戦いが始まる。

 後手深浦八段の研究手順(要指し手再現)なのか、あっという間に後手が良くなったように思う。 もし、これで後手よしなら、先手は、これまで幾度となく指されてきた駒組の手順を変えなければならなくなる。 今後、注目だ。

2004年8月27日(金)

 実家へ引越し。東京を離れるのは寂しいな。(涙)
仕事もどうする…。

2004年8月26日(木)

 夜、対局終了後だったが、王位戦第4局のページを見る。
西日本新聞社の第4局のページは、掲示板あり、ライブ中継あり、動画あり、インタビューありと、充実していたようだ。 指し手再現は相変わらず、鈍臭いけど…。(指し手再現のページは、毎局、中日新聞が担当。)
都合でライブ中継が見れなかったのが、残念だったなぁ。
ところでページに、「このページに対する感想は、…」のようなものがあり、メールを送れるようになっていた。
担当の方、7月28日の日記を読んでたりして…。
第4局の力の入れ方を見て、西日本新聞社の担当者は将棋ファンではないかと勝手に推測しているのだが…。

2004年8月25日(水)

 飯島将棋中継盤に再生機能を搭載。Ver0.80に
いよいよ、後は、自動更新のみだ。
現在、ソフトと画像を合わせて約33KB。
何とか、35KBぐらいに収めたいと思う。

2004年8月20日(金)〜22日(日)

 帰省の準備で実家の家具の移動。本当はゆっくりしていたいけど、そんな暇はない。
普段キーボードしか打たないため体が鈍りまくっている。そう実感した。
夜、東京のマンションに帰宅。疲れた〜。

2004年8月15日(日)〜19日(木)

 15日朝、父が亡くなったと知らせが届く。
父はこの春から、癌で入院していた。 当初、余命短いかもと訊いたときは、嗚呼と思ったものだ。 しかし、抗癌剤による治療の経過が良く、手術をすれば助かりそうだということで手術をすることに。 10時間にも及ぶ大手術で危険があったが、成功。 術後は、あまりの痛々しさで見ていられなかったが、見事痛みに耐え、この13日退院できた。 今後は、週一度通院し経過を診るだけで、治療は終わっていた。
 ところが、15日逝ってしまった。 これまでの病気とはまったく関係のない、心筋梗塞だった。 せっかく、退院したのに。良くなったから退院したはずなのに…。 あんなに痛い思いをし’退院すれば、また好きなことができる’というその言葉を信じ頑張って来たというのに…。 術後、70近い年齢で’片道40kmの道のりを自ら運転し、毎日のように病院に通い、夜付き添い、朝自宅に帰る’ということを繰り返した母の努力も無駄になってしまった。 現実とは、厳しい。
午後、実家に着き、顔に白い布のかかった父と対面。(涙)

 17日だったか、下館市岡芹、定林寺へ。とっても印象の良いお坊さんで、そのお坊さんから父の生前のことを聞く。
父はすでに隠居の身で年金暮らしだったが、何でも、現役で仕事をしていたころ、父に良くしてくれた勤務先のおばあちゃんが、このお坊さんのところに来て、よく、「働き者だ、働き者だ」と父のことを語っていたそうだ。 そういえば、父がどんな風に働いていたか、全然知らない。どんな風だったのだろう…。
 自宅に戻り、15時納官。真夏で、遺体の傷みを抑えるため、ドライアイスの使われているところを見る。 こんなところで、人間が生身であるこをつくづく感じる。

 18日18時〜下館市野殿の自宅で通夜。盆と友引と順番待ちで火葬が19日にしかできない関係でこの日に。
お坊さんの真後ろでお経を聞きながら、どんなにお経を読んでもらっても、もう戻らないのに…と思う。 おまけに、体調不良と足のしびれで、困った。

 19日朝、出棺。10時、棺桶がガラガラドーンガチャーンという無機質な金属音とともに視界から見えなくなり、火葬が始まってしまう。 心の準備が整わないうちに…。 昔、テレビで見た父を亡くした子供が「焼いちゃやだーと泣き叫ぶシーン」が頭をよぎった。 「焼いちゃやだー」と叫ぶ時間も何もなかったが…。
 2時間弱後、父と対面。骨だけになっていた。さっきまで形あった父がこんな姿になって…。涙が出た。 生まれて初めて、人間の骨を見た。近づくと熱かった。骨を拾うということがどういうことかを初めて知った。 親族2人1組で全員が拾い終えると、係の人が残りを骨壷に納めていく。 しかも、骨壷にそのまま収まらないとなると、収めた骨をまるですり鉢のごまをすり潰すように潰すのだ。 頭蓋骨だけは、そのままであるが…。 まったくなんてこったい。
 13時、玉戸蓮華にて葬儀。3日初七日の分のお経を終え、喪主として挨拶。
なんでこんなところで挨拶しているんだろうと不思議な感じだった。

 父のために通夜や葬儀に来てくださった皆様、ありがとうございました。
また、生前、父に良くしてくださいました皆様、ありがとうございました。
父に代わり、御礼申し上げます。

 子供の頃、父に良く言われた。「何でもいいから一番になれ!」と。
東京に居ても、勉はどうした、勉はどうしたと、私のことを心配していることを母や姉から何度も訊いていた。
親不孝だったけど、飯島将棋中継盤が完成して、現存する将棋盤で一番性能が良いことが確認できたら、父にこう報告しようと思う。
「おとうちゃん、1番とったよ!」と。
                                                          [2004.08.24 記]

2004年8月13日(金)

 飯島将棋中継盤、着々と開発進行中。
下の画像をクリックすると、デモがご覧になれまーす。

飯島将棋中継盤 ver.0.75

 とりあえず、複数の棋譜が扱えるところまではほぼ完成。
うーむっ。駒の文字は、一文字の方が見やすいかなぁ〜。

2004年8月5日(木)

 飯島将棋中継盤、開発中。
少しは、デザイン力の違いを見せつけなくっちゃ^^;
こ〜んな感じで、どう?
飯島将棋中継盤デザイン案

 ところで、一昨日の王座戦挑決、一方的だったなぁ。
中盤以降、後手は、守りが薄いから気持ちが悪いけど、はっきりとした一手負け。
まさに、森下九段が度々表現に使う、いわゆる「逆転しない一手違いの将棋」だったようだ。
(逆説で、「逆転する(ときがある)二手違いの将棋」というのもときどき使う。)
羽生vs森内戦に飽きてきたところだし、羽生vs渡辺戦が見たかったなぁ〜。残念。

2004年8月3日(火)

 7月3日の日記では、新聞掲載前だったため詳しいことが書けなかったA級順位戦 高橋−深浦戦より。

 実戦は、第1図より▲7四歩〜△7三同銀(第2図)と進み(要指し手再現)、第2図で▲8三馬とできなかった。
▲8三馬(参考1図)とすると以下△6二銀〜△6六桂(参考2図)以下詰まされ負けだからだ。(要指し手再現)
ところが、ここで先手に1歩あると、△6六桂以下の手順では詰まなくなるため先手が勝ちなのだ。
ということで、1歩を温存するため、第1図で単に▲9二馬としたらどうだろうということが考えられる。
どうなのだろう。


2004年8月2日(月)

 一旦中断していた、飯島将棋中継盤の開発を再開。
当初、飯島将棋盤とサイズを同じにしようと思っていたが、大きい盤にすることに。
中継のときは、観戦記をそえたりまた、研究するわけではないので大きい盤の方が良いだろう。

将棋盤デザイン案

2004年8月1日(日)

 飯島将棋盤と飯島将棋研究盤がVer.2.00にバージョンアップ。 本かや盤のようなイメージを表示できるようにした。 ただ、盤が小さいため、必然、駒の字も小さくなり、そこが泣き所とも言える。 印象は良いと思うのだけれど…。